12月 10th, 2009 by tsuyoshi
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今年もやるですよ!
今回の聞き所は…
- 魂のシンガー 森兄貴の”Have I told you lately”。身悶えする男臭さ!!
- MOST FUNKY GUY:浅井君のStievie Wonder。当然、ファンキー!!
- やるときゃやる女:さみぃちゃんのエロエロソング、Love Squall.
- 10年ぶりのステージ:おーはしさんの”Rock With You”。パワーON!!
- ソロを吹ききれるのか?50代おーた師匠が体を張る”Pick Up The Pieces”
また、コーラス隊でHGCやプランチャーチョップスティックで活躍中のめぐ&とも:W人妻が参加。
楽しい夕べにしたいと思ってますので、気軽に遊びに来てください。詳細は以下で。予約したい人はメールするか、Twitterで!
★☆★OJT 2009 X’mas Live★☆★のご案内
日時:2009年12月19日(土)17:30 開場、18:00 開演
場所:東京都港区赤坂3-21-10 赤坂NSビルB1
Live House “GRAFFITI”
Tel: 03-3586-1970
http://www.moz.co.jp/graffiti/access/
料金:前売/予約が 2,000円、当日2,500円(※)
※ あらかじめご連絡いただければ、
「前売/予約」扱いでチケットをキープしておきますので、
事前にご連絡いただければ幸いです。
セットリスト:順番は変わります。
- Have A Good Time
- Pick Up The Peaces
- Dream Girls
- Don’t You Worry ‘Bout A Thing
- Let’s Stay Together
- Love Squall
- Street Life
- Rock With You
- Fly Me To The Moon
- Desafinado
- The Christmas Song
- This Christmas
- I Just Wanna Stop
- Jojo
- Have I Told You Lately?
- The Way You Look Tonight
- 力石徹
- Sir Duke
- Superstition

11月 6th, 2009 by tsuyoshi
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とりあえず、プラットフォームを移行しました。今後色々といじって行きます。
11月 4th, 2009 by tsuyoshi
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このサイトはずっとXOOPSで作ってきたんですが、ちょっとWordpressに浮気してみようとしてます。携帯対応とか、標準的なCMSってどうなってんの、という自分自身のアップデートのために。
なので、しばらくの間少し見にくくなるかもしれませんがご容赦ください。
10月 31st, 2009 by tsuyoshi
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先週、休みをとって京都旅行に行ってきました。
我が夫婦としては2003年に行った小樽以来の2回目の国内旅行で、なかなかめずらしいのだ。
旅行はとても楽しく、素敵だった。京都はまだ紅葉には少し早かったのだけれど、その分人が少なくて二人でのんびりと回ることが出来たし、「御朱印あつめ」という新しい楽しみを始めることが出来た。
様子の詳細は、こちらのスライドショーでどうぞ。
http://picasaweb.google.com/Tsuyoshi1212/Kyoto2009#slideshow/5398408358180179666
去年のタイ/ベトナム旅行に比べ、まったくサバイバル色がなかったのも素晴らしい。しつこい客引きをするタクシーも、たどたどしかった英語がいつの間にかすさまじく流暢になる「観光ガイド」や「親切な地元の人」もいないのだ。モノを尋ねれば何の見返りもなくても教えてくれるし、モノの値段はきちんと決まっている。何てラクなんだ!!
しかし、わざわざ発展途上の国と比べなくても京都の街や人は、とってもおしゃれだ。
例えば祇園の街や八坂神社のあたりはとても道がキレイで、夕方に歩くととてもロマンチックだ。只の路地なのだけれど、看板の出し方、明かりの付け方が本当にそつがない。原色の光は一切なくて木と石の路地にふんわりと黄白色の光が例えば和紙の灯篭から透けて店名を告げてくれる。洋食の店であっても、その流儀はきちんと踏襲されている。かと言って画一感があるわけではなく、それぞれのお店はきちんと、その流儀を客に伝えている。例えば格子戸が開け放ちであったり、閉めきっていたり、目隠しがあったり、メニューが出ていたり、いなかったり。
そんな一つ一つの店のしつらえを見ているだけでも、とても楽しい。
そんな「わかってる感」は青蓮院や銀閣寺の庭でも味わうことが出来る。何を見ている人に与えるかがものすごく考え抜かれていて、技法や金や地道な作業の繰り返しがぎっしりと詰め込まれているにもかかわらず、泥臭さや汗の匂いは全くない。かといって取り澄ましたような冷たさはもちろんない。ただ、すっきりと優雅なのだ。
もちろん人間そんな素敵なモノだけでは生きていけない。バイタリティーやアクティブな人間像は四条のデパート街や錦市場、先斗町の賑わいが、京都が博物館ではなく人が生きる街であることを改めて教えてくれる。洗練と歴史が日常ときちんと折り合いを付けている様子は、日々「人間の業」が街を増殖させている東京の住人からみると一つの奇跡の様に思えてくる。
僕等が今回泊まったホテルフジタからはとても手軽にあちこちを見て回ることが出来た。10数キロの距離がある大原三千院へも、電車とタクシーを使って1時間弱で行ける。街の反対側にある嵐山へも、30分ほどで行けてしまったりする。錦市場や先斗町へは徒歩で15分。青蓮院、八坂神社は歩いて30分。二条城は電車で10分だ。有名どころでなくても、路地の奥に店を構えているカフェは京都の町家を改造したものだったり、街角に何となくある飴屋が150年の歴史をもっていたり、何の看板も出ていない書道用品店が東京の専門店以上の品揃えがあったり、画材屋さんでは見ているだけでクラクラするきらびやかな和絵の具が壁いっぱいに積まれていたりする。
泊まった場所がよかったのかもしれないけれど、実感としては京都の街はそんなに大きくなくて、そんなコンパクトな街にいろんなモノがギュッとつまっている様子がまた、宝石箱の様なのだ。
とても楽しかった。また、行こう。
9月 8th, 2009 by tsuyoshi
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昨夜、Twitterで弓屋さんのつぶやきに反応(面識も無いのにすいません)してから、表題の件が引っかかっているので、少し書き出してみる。
Wikipediaで「交渉」を引くと、ほぼゲーム理論的なことが書いてある。ゼロサムとか、非ゼロサムとかね。交渉そのものがゲーム/価値の争奪・分配であるという理解だ。
ただ、ちょっと見方をひねると – 交渉はより大きな枠組みのゲームのための手法であるとすることも、できる。
より大きな枠組みのゲーム(例えば太平洋地域でのシェア40%獲得)があった時に、個別の交渉ではゼロサムどころか”価値が測定できないこと”が許されるケース(当該地域でキーマンの信頼を得るため、会話の継続が保証されること、とか。)もある。いやいや、それが得るべき”価値”なんだよ、という反論も勿論あるんだけれど「より大きな枠組み」を運用していく上で指標にしようとしている数値には反映されない/されにくいものだろう。(「で、シェアはいつ上がるの?」みたいなね。)
交渉を単一のゲームではなく、「ゴールに至るプロセスのひとつで、ステークホルダーが責任と利得を調整していく作業」と定義してみたときには”恣意的な価値判断/双方の合意が必ずしも見られないが、プロジェクトの運営には問題が無い結論”があり得る。
また、付与価値(報復か報償のどっちかで、ね。)の有無で、ゼロサム交渉が非ゼロサム交渉になったりするケースもある。「核開発止めなかったら爆撃だけど、どう??」とか「今回の発注もらえたら、ビジネススキーム入れ替えて受託開発から常駐サービスにします。」とかね。これも「交渉本体とは別の枠組みからの価値体系のインサーション」だ。
交渉それ自体を個別のゲームとして理解するのは勿論、順当に機能するし有益だ。だけど、単一の主題を扱っているわけではない/プレイヤーが複数/価値基準が複数/交渉手法が複数といった”複合要素”を気にしなきゃいけないときには”ゲームとオペレーションの集合における調整作業”という理解が必要だ、と思う。
8月 28th, 2009 by tsuyoshi
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Twitterで会社のアカウントを作って活動開始して見たので、現在の印象をまとめておく。
背景のようなもの
Twitterの法人利用では例えばIBMの広報や、DELLの特売情報などが先行者としてあったわけだけれど、そうした先行者がTwitterに感じている期待値と私の考えている期待値とは少し差があるように思う。
ご存知ない方のために説明しておくと、私は上場以来4期連続大赤字、本日時点で7連続ストップ安の後ストップ高という「ほんとにもー何やってんだか」な会社で本業の「開発」事業とは少し軸足の違う、「サービス事業」の1商材を担当している。なんでそんな会社入っちゃったかなぁ、というのは私も日々悩んでいる所なので放っといてくれ。
で、私がやっているのは「携帯電話関連のアプリ・サイト・機材の検証をやるのに端末、テスター、SEを貸す」というサービスだ。コネクト・テストラボっていうんだけどね。非常に小さな商売だけれど、一応利益が出ている事になっている気がしないでもない。顧客は主にサイトやコンテンツの制作をやっている人達なので、Twitterの利用者とは相性がいい。私の期待値としてはサービスブランドに対する認知、共感、想起をTwitterの利用者に持ってもらうことが大きい。なぜなら、検証サービスを突き詰めていくと提供しているのは「端末と回線とテスター費用の外化」というサービスだからだ。つまり、コモディティでありリソースを売っており、商材その物での差別化、購入選択要因がないため、「信頼感」や「ブランド」が重要なわけだ。
で、同様のサービスを提供している会社は都内に4-5社あるのだけれど「信頼感」や「ブランド」の点において、前述したような「ほんとにもー何やってんだか」な状況は非常に都合が悪い。いわば、マイナスからのスタートだ。
「え〜。でもさぁ、テスト用の端末チョイスとかさぁ、ノウハウがあるんじゃねーの?それが差別化ポイントじゃん?」と言われる向きもあろうが、テスト用に端末チョイスをした時点で発生しているかもしれないバグの一部を無視するリスクを背負ってしまっていること無視して、工数を削減していることを”ノウハウ”とよぶのであれば、それで結構。少なくとも僕はお客様にそれは”リスクだ”と伝えている。で、ここでもう一つ「検証作業に対する顧客の啓蒙」という要素が必要になる。
15年前にやっていたウイルス対策商売の時には同様のテーマに対して、32Pのリーフレットを隔月で出してチャネルの営業が配りまくるっていう手をつかったが、印刷物のご利益はもうあんまりないので、この手法は費用対効果が悪い。
やりたいこと、つまり信頼感の醸成や啓蒙を行うのには継続的でなおかつ直接関係が維持できる手段が望ましいが、メールやDM、リーフレットなどの印刷物では費用対効果が薄い。
ということでTwitterなわけだ。
やっていること
例えばIBMであればTwitterは「多くのチャネルの一つ」であって、他のチャネルと同様の情報を流していくことで重層効果が期待できるのだろうし、DELLならば特販情報へのリアルタイムなレスポンスが期待できる。確か、中野のカメラ屋もそんなことだったはずだ。このセンならば「細切れのチラシ」的発想で情報を送っていけば良い。
が、僕がやりたいのは「ブランディング」と「啓蒙」で…それには”ショーケース”が要る。
認知、理解、共感を経て信頼は生まれる。マグロの解体ショーなんてのは最たるもので、例えばロエベが毎年うちの奥さんに送ってくる30P/4P+特色4つのカタログとかも「我々はこういうことが出来て、それはあなたを満足させる」ということを伝えたいがためのものなのだ。このようにして信頼が生まれると「革のカバンになにやらマンガのついたモノ」ですら、高値で買ってもらえる。
閑話休題。
今回僕がショーケースに選んだのは、我々が提供しているサービスその物だ。
つまり、多くの携帯電話で同一のXHTMLを表示させ、その差異を説明している。
これによってオーディエンスは我々のサービス内容とその便益が具体的に理解できるだけでなく、継続的な「購読」によって信頼感の醸成にも効果的だと思われる。また、具体的な差異が示されていることで啓蒙効果も期待できる。
ただ、Twitterでの発言は「緩いつながり」のなかでのものであり、あまり定型的なものは感覚的に排除される可能性がある。実際、私もIBMの広報のフォローは止めてしまった。だって固くて面白くないんだもん。”人間臭い”のがTwitterの面白みじゃんよ?
ということで、”緩い”ものも取り混ぜていくわけだ。担当者のキャラクターが見える程度に、なおかつ「信頼感の醸成」を損なわないバランスを日常のオペレーションのなかで判断しながら展開しようと考えている。具体的には質問やコメントには必ず「人間的に」答えること、1日1回程度「現況報告」をとりまぜることを考えている。
以上、なんとなく参考になってくれれば幸い。
8月 23rd, 2009 by tsuyoshi
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司馬遼太郎の「殉死」を読了した。作家は日露戦争の英雄、乃木希典が大嫌いらしくこき下ろしつづけているのだが、読みながらいくつか思うことがあったので記録しておく。
ドラッカー先生曰く、組織は目標に従う。なにを獲得するのかによって、どのような組織であるかが決定されるべきであるという。ただ、何かしらの目標があって、それを獲得するために適当な人材をあてていれば良いけれど、そうはできなかったり、あるいは後から”間違っちゃった”ことに気がついちゃったら…どうすりゃいいんだろう。
日露戦争のときに旅順攻略をまかされて「無能」を証明しちゃった乃木将軍がいい例だけれど、結局だれも彼を更迭出来なかった。彼自身も、自分自身を無能だとは思っていなかったらしい。後付けの理由はあろうけれども、結局それを許容する余裕を社会と組織が持っていたって言うことなんだと思う。”余裕”が社会の慣習とか、関与する人員の教育・啓蒙の不足によるものであろうとも、だ。そういう場合には、「こいつは無能だ」と言ってまわりの大半がそれに同意したとしても、そいつを舞台から降ろす決定打にはならない。逆に、「極論を述べる、現状を打破する工夫のない奴」と返り討ちをもらったりする。
そのような組織で、自浄作用はもちろんない。この様な組織では、目標に指向してではなく職能に指向して編成され、従って部分最適な「作業」が繰り返され、組織体全体の生き残りは関与する全員が問題意識として持っているものの明らかな目標はついに示されない…ことが多い気がする。
僕の知っている範囲では、リーダーの交代以外にこういったマイナスループを解除する方法はない。
別のフレーズに言い換えるならば、そのような気配が見えたならばリーダーは目標を確認し、組織全体のベクトルがそちらを向いていることを確認し、そうでなければ編成を替えなければならない。出来なければ、交代するか、組織全体でダメになりつづけるかだ。
構成員としては、その組織に見切りをつけなきゃいけないが…さて僕にはどれほどの自由度が残っているものか。
8月 18th, 2009 by tsuyoshi
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gigimakiさんのやっているBlogumentalyのちょっとした改修をお手伝いしたお礼にもらった絵本。
松居氏のスクリプトは一人で歩くこと、祈ること、誰かと一緒に歩くこと、語り合うことをいろんな距離感で語っていく。絵を書いている馬場氏は、ものすごいエネルギーを画面に詰め込んでいる。抽象/印象派というよりも、いわゆる野獣派に近い筆致であると思う。
正直に言おう。
文章は、余計だ。馬場氏の絵だけで、きっちりとテーマが伝わる。
僕が野獣派が大好きであるからかもしれないけれど。
8月 17th, 2009 by tsuyoshi
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プリーストと佐藤亜記は小説界のジョン・シナとバチスタといってもよい、と思っている。本書もやはり、重量級のエンタテイメントである。
プリーストは映画化された「奇術師」や「魔法」などでも同一性の危うさを描いている。が、例えば精神世界の描写に同一性の混濁を表現させた筒井康隆の「パプリカ」と比べると、徹底した歴史資料の読み込みに基づくミスディレクションの構築、小さな矛盾の積み上げ、大きな矛盾のためらいのない断定、異なる世界を乱暴に一つの器に盛り込みつつも、それぞれの世界を微細なまでに描写して見せる筆力と構築力は帯に書かれた「完璧な小説」という讃辞もさもありなん、である。
その分、読者にはやさしくない。
この本の読者は濃密な感情と時代の描写を咀嚼し、理解しながら、同時に矛盾を解き明かさなければならない。そして、残念ながら矛盾は明かされない。絡み合ったプロットと説明は、そのどれが正解であるのかを判別させてくれない。読了しても、読者は何を基準に状況を理解すれば良いのかわからず、呆然とせざるを得ないのだ。原題「The Separation」の通り、分割されたいくつもの現実が絡み合うなかに、読者も巻き込まれてしまう。主人公の双生児達の混乱と矛盾を共有し、小説は終わる。
作者は数百冊の背景資料に目を通してから本書を書いたそうだ。
どおりで、ディテールは分厚く人物は生々しい。
つまり、ものすごく面白いってことです。