Rinoじゃなくってね、違いってことです。考えさせられたもんで、とりあえずエントリしておく。
一昔前はデジタルデバイドという被害妄想に近い概念があった。コンピュータ使える人と使えない人でライフスタイルに大きな差が出てきてしまうというやつですね。携帯電話の普及と通信回線のブロードバンド化で情報に触れる垣根は下がり、デジタルデバイドは結果として発生しなかった。「うちのじーちゃんメールもできねぇぞ」というなかれ。彼もCNNでリアルタイムな戦争を感じられる。これはひとえにでっかい通信回線のおかげだ。
トフラーの第3の波がだっぱ〜んと押し寄せる日も近いぞ、と感じさせるわけですがリアルライフの中では一向にそんな気配がない。こりゃなんでだろ、と思ったわけです。で、とりあえず行き着いたのが「ナレッジデバイド」っつーか「エクスペリエンスデバイド」っつーか、そんな感じ。
情報は「事実」が「解釈」されて「情報になる」ってのがCIAのI – Interigenceが情報と訳される根拠ですが、この解釈ってのが経験値によるよなぁと思うわけです。
たとえば、経験値がないところへどれだけ事実を突っ込んでも解釈できるはずがない。「あー。そうなんだーー。ふーん。」てなもんである。逆に経験値が豊富であれば少ない事実からでも柔軟で有用性のある解釈が出てきて、有効な情報を出力できる。「それってさ、あそこではこうだけどここではそうなんだ!! じゃぁこうしてみればどうなんだろ?」っつー感じで次の発想が出来るわけだ。
この経験値ってもんがくせもんで、ありすぎると今度は解釈を縛り始める。で、小・中・大の経験値<実際にはもっとダイナミックなスケールなんだろうけど>がケンカしてジェネレーションギャップとかエボリューションとか発生する。
ことは経験値なので、人が生き物であって再生産してる限りは循環して改善しない。で、第3の波は来ないと。良いんだか悪いんだかわからんけど、来ない。
さらに「経験値」が思考のフレームを決めるので、フレームの違う人たちがわかりあう日は経験を共有するまで、来ない。
で、世の中は4000年前と変わらずレアルポリティクスで動いちゃう、と。
以上、雑感メモ。