言わずと知れたBilly Joelの名曲である。 ひょんなことで聴きかえしているが、いいねぇ。
服の趣味とかさ 髪の色とかさ、変えちゃダメだよ
内に秘めたじょーねつっつーの?? 気にしてないよーに見えても、
もーいつでもムラムラしてるわけよもーね、いつまででも愛しちゃうわけさ
約束しちゃう
そのまんまのね、君が良いのよ
ストーカーオヤジ風文体にしてみると、これまたいいね。
言わずと知れたBilly Joelの名曲である。 ひょんなことで聴きかえしているが、いいねぇ。
服の趣味とかさ 髪の色とかさ、変えちゃダメだよ
内に秘めたじょーねつっつーの?? 気にしてないよーに見えても、
もーいつでもムラムラしてるわけよもーね、いつまででも愛しちゃうわけさ
約束しちゃう
そのまんまのね、君が良いのよ
ストーカーオヤジ風文体にしてみると、これまたいいね。
今日読んでた雑誌に載っていた、すてきなフレーズ
瞬間と永遠はきっと同じもので出来ている
思い返して自省するためにここに書いておく。
LinkedInというサービスがある。 履歴書と名刺を公開しておいて、お互いに「あ、こいつ知り合い」とマーキングしてみたりとか「こいつあのときいい仕事してた」と”良く出来ましたマーク”の付けあいとかをする。 これの何が便利かというと、まず連絡先の更新が楽だ。 これだけならPlaxoでも全然いいわけだが、これに加えて履歴書見た人から「あんたこんな仕事できる??」とか「今こんなプロジェクトやってんだけど、オタクの会社でこんな製品とか作れる??」といったビジネス開発も出来る。
さきほどMixiについての投稿をしたので思い出したのだが、Mixiがプライベートの友達関係をネットに映したものだとすれば、これはビジネス上の人脈をネットに写したものだ。 転職の少なかった時代であれば、このような仕組みは必要がなかったかもしれないが、現在では連絡先管理としてだけでも意味があるだろう。 さらには自分の欲しいビジネスリソースに対して仲介の労を誰にとって貰うのが良いのか - 「アップルコンピュータのコンシューマ向けマーケティング担当者とはこいつが知り合い」とかを教えてくれる - などの機能は競争力をパートナーシップでくみ上げていくのにとても役立つ。 つまり、事業展開のスピードアップが楽に出来る。
で、残念なのはこいつが英語版だっつーことさ。 アメリカとかで商売してる奴とコネクションがあってもなぁ、と言う人のほうが多いだろう。 やはり、日本語版が必要だ。
だれか、やらない?? 金出してくれれば俺やるけど。 1500万ぐらいかな?
CNETの記事から。 そりゃぁMixiだろう。
ネットアプリケーションとしての出来とか、今後の可能性とかは圧倒的にYou Tubeの方が優っている。 なんといってもみんなが集ってくるのに障壁がないのがいい。 投稿するのも自由なら、離脱するもの自由だ。
だがな、それじゃ商売にならんのだよ。 せいぜい広告ぐらいでしょ? Mixi買って、生協もどきのE-Commerceシステムとか組み付けたら、とか思うともう、うっとりしちゃう。 コンテンツ+広告で儲かるのはポータルか検索屋さんだけで、それ以外のところは「ユーザのアクティビティ」にまつわるカネを、以下に自分のところ通してもらって割り前を貰うか、を考えなきゃ如何のではなかろうか。 そうするとモデル的にはクレジットカードか生協だと思うんだけどな。
このモデルはどこからでも始められるけど、拡大していくのが難しいかも。 ということでSNS的なリアルライフコネクションがこれまたいい感じでユーザー同士をつなぐ「糊」の役目を果たしてくれる。
っつーことで、圧倒的にMixi。
イラン系アメリカ人の友人がサンフランシスコに帰った。
以前勤めていた携帯電話会社で知り合ったのだが、仕事の出来る付き合っていて気持ちのいい奴だった。 彼は私よりも年下だったが教えられることも多く、一緒にやった仕事はいまでも自慢できるものだ - 反論のある方もいらっしゃるだろうが。 彼とやった仕事を通して私は自分自身のスキルが国内だけではなく少なくともアメリカでは通用するタイプのものであることを学んだし、多言語環境の中でどのようにコミュニケーションやワークプロセスを機能させるかも学んだ。 一緒にやった仕事の一つであるサービス開発プログラムマネジメントでは国際化とグローバリゼーションがまったく異なることを実感させてもらった。 国際化はローカルが尊重されるが、グローバリゼーションはローカルを駆逐することを前提としていることが、このとき実感としてわかった。
彼の仕事がヒマになっていたここ数ヶ月はよく一緒に遊んだ。 私のライブにも来てくれ、バンドメンバーとも一緒に打ち上げをしたりした。
ちくしょう、また友達が居なくなっちゃったぜ。
先週土曜から、グアムにバケーションに出ていました。 昨年春に花粉からの緊急避難で出かけて以来、3度目になりますがグアムは相変わらずの「熱海」っぷりでよろしかったです。
で、スーパーマーケットの衣料品売り場で発見。ヒップ2Mのズボンとかが平気で売ってる。 あのなぁ、人間はそんなにでかくならなくてもいいぞ。
成田に帰ってきて、日本人がとってもやせて健康的に見えた。
ほんの覚書。
MSNで「レゲェ」を検索すると、このサイトが一番上に出てくる。 なんだかとっても申し訳ない気分。 同時にMSNの検索ロジックがちょっと不思議。 友人が付けてくれたコメントがキーワード満載だったのかもしれない。
世の中便利になったもので、ログ解析を見ると皆さんが何を探してこのサイトに来たのかがわかる。 これを見ると、「セグメンテーション サイコグラフィック」と「セグメンテーション F1」が結構な数ある。 ということで今回は性年齢分類のお話。 が、ベンチャー畑を歩んできた私は、こいつにあまり肯定的ではない。
性年齢分析とは、電通とか博報堂とかが広告を売るときに「このメディアはどういう人向けですよ」というのを出稿主にわかりやすくするためにざくっと世の中全体を区切った乱暴なもんである。 もちろん、サイコグラフィックもジオグラフィックも考慮されておらず、OneToOneなんぞまったく眼中にない。具体的な分類は以下の通り。
なんと、日本には6種類しか人間が居ない!! しかも20歳以下は人間ではないのだ。 恐ろしい。 CとかTとか記号を付けられて性差さえ問題にしてもらえない。 こんな人権無視が許されて良いのか。
良いのだ。 なぜなら、この分類は広告出稿側からも広告の受手側からも共通して、きちんと機能するからだ。 もう一度この分類の弱点について考えて見る。
と見てくると、普段着程度のアパレルやコモディティの場合にはこの分類でまかないきれる感覚があると思う。 耐久消費財や高級アパレルを含む嗜好品の場合にOneToOneなり、サイコグラフィックを適用すればいい。 よくわからなければ、百貨店に出かけて各ブランドのシーズンカタログを見せてもらおう。 「普段着」や「通勤着」を売っているブランドでは下手をすれば雑誌の抜き刷りだが、高級ブランドではシーズンの”スタイル”を感じさせるきれいな印刷のカタログを見せてくれるだろう。
誰かと同じものか、あなたのスタイルに合ったものか。 性年齢分類は、「皆はどこかしら誰かと同じ」であることを前提とした分類である、と言える。
試写会に行ってきた。キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが出ている「イル・マーレ」。
クソ映画だ。
キアヌとサンドラはハリウッドスターらしい存在感と精一杯の演技で映画を引っ張っているが、いかんせんプロットがすばらしくダメだ。 基になっているという韓国の同名映画/小説はどこぞの学校で教材としても取り上げられているとのことなので「2年離れた時間を不思議な手紙でやり取りして恋を育てる二人」がメタフィクションとかカットバックの観点から構築されている…のかもしれない。 無理やり切り張りしたようなラストシーンも、ハッピーエンドを望む人にはカネを払う価値のあるものなのかもしれない。
が、こいつは久々に見たダメ映画だ。 ダメすぎて爽快になる。 キアヌとサンドラのコンビに期待した自分がちょっとかわいくなる。
私はレビューを書くときには感想、つまり感じた想いを書きシーケンスの説明はしないことを心がけているが今回は別。 あまりにダメダメなので。 さぁ、説明しちゃうぞ!!
エンドロールが出たときに会場から失笑が聞こえたときには、ちょっと安心した。 これで泣いてる女の子とか居たら、どこかに亡命をしなきゃいけないとこだった。 それほど民度は下がっていないぞ、この国は。
B級映画は、 好きだ。 A級まで持ち上げる予算も能力もないが、一生懸命作って2時間の娯楽を提供することに熱意を感じる奴ね。 しかし、この映画は!! 観客を見くびっているとしか思えない脚本とディレクション、整合性のないプロッティングにはまったく熱意を感じない。 唯一、キアヌとサンドラが良い役者であると確認できただけが収穫か。
貼ってある画像はベースとなった韓国映画の原作本だかノベライズのリンクである。 私は読んでいないし、今のところ読むつもりもないのでどなたか読まれた方はご感想をお教えいただきたい。
最初に言っておく。 私は年齢をお召しになった職人系のヒトに甘く、ほぼ無条件に賛辞を送る癖がある。 この視点からすると村上氏の経歴に対する私の賞賛は普段の言動と一致しないかもしれないが、ご容赦いただきたい。
本書は帝国ホテル料理長であった村上信夫氏の自伝である。 一貫して自らの経歴を淡々と振り返るとともに、人生においてなんらかの”ギフト”をくれた人々を懐かしく紹介する氏の余裕ある語り口は嫌味がなく、さすがホスピタリティを旨とするホテルマンとして、お客様を喜ばせる職人として60年近くの経歴を持つと感心させられる。 が、時折はさまれる写真の中の村上氏は精力的なまなざしを持っていてテキストの与える印象とは食い違うのだ。 本書の中で村上氏は「欲」が大事だと言っている。欲がなければ、新しいことは吸収できない。従って、進歩はない、と言う。 序文を書いている三国氏をサポートしたのも、欲を持っていたからだという。 精力的なまなざしは、この欲によるものであろうと思う。
私の敬愛する先輩諸兄/姉 - ご無沙汰ばかりですいません - も、欲の多いヒトばかりである。 自分もまた、ぎらぎらした目をして毎日を送りたいものだ。
高度成長の熱狂がうらやましいと共に、自らの老い方を考えさせられる一冊。 老いるとは、消えてゆくことではなく、つんできた経験によって自らの欲をますます追い求めることで有ってもよいのではないか、と問いかける村上氏は快楽主義者の友、料理人であったと気付く。
ゴリゴリ行こうぜ、兄弟