ITmedia ビジネスモバイル:FMCに暗雲?──携帯を固定電話代わりに使える「気分ゾーン」事情
もっと広く「コミュニケーション」とか「データ通信」とかのフォーカスで見なきゃいけないんじゃないか。 そうするとアイデンティティとかトラスティとか、サービス側で考えておくべきことってもっとたくさんある。 レビット先生が言うように「機能」ではなくて「便益」をサービス業は提供しているのだから。
えーっと。後日詳述。
ITmedia ビジネスモバイル:FMCに暗雲?──携帯を固定電話代わりに使える「気分ゾーン」事情
もっと広く「コミュニケーション」とか「データ通信」とかのフォーカスで見なきゃいけないんじゃないか。 そうするとアイデンティティとかトラスティとか、サービス側で考えておくべきことってもっとたくさんある。 レビット先生が言うように「機能」ではなくて「便益」をサービス業は提供しているのだから。
えーっと。後日詳述。
最近、奥さんにも「Google好きだよねぇ」と言われるほどのSEO野郎となっている私です。
CNET Japan Blog – 渡辺隆広のサーチエンジン情報館:NTTドコモ、iメニューで検索サービスを開始
私も浸かってみました。ドコモ検索。以下、感覚と仮説。
「お客様に役立つページに最短距離でご案内する」のが検索機能プロバイダのモチベーションだとするなら、背景となるべきドコモの価値観と併せてこの仮説であっている気がする。 となると一発逆転よりも地道なSEO対策=きれいなHTMLの作成がひとまずの王道か。
個人ブログなんて知らないもーん、というドコモの割りきりには拍手。 さすがオヤジ企業。 一緒に汗をかいたCPを裏切らないね。
Web2.0じゃぁ、ないよなあ。 だって外に開いて無いもん。 API提供してコアファンクションをコモディティ化していって、そこで生まれるトラフィックからビジネスを展開するのが、WEB2.0。 だから、基本はがばっと開いてなきゃいけない。 楽天みたいに、如何に機能が多かろうとも自分のとこだけで閉じているのは1.0だと思う。 でも、無理やり2.0とか言わなくてもいいと思うけどなぁ。 1.0でもきちんと動くモデルと市場なんだし。 株主がうるさいのかなぁ
アスク ドット ジェーピー、ドコモのモバイル検索に「Askモバイル」の機能を提供 – CNET Japan
これは、ドコモの検索エンジンをASKが提供してるって話じゃないよなぁ。 あれ、どーなってんだろ。 アルゴリズム解析するにはデータが足りないしなぁ。 どうやってSEOやろうかなぁ。
ラブストーリーは切ないものに限る。英雄とヒロインの恋物語など本当はとてもつまらない。うまく行くに決まっている。
英雄でもヒロインでもない人間は、奪われてしまったものや手に入らなかったもの、あきらめてしまった世界を目の前に見ながらも生きていかなければならないのだ。 そうしたものが手に入るとなれば大切なものも裏切ってしまう。 手に入らないうちは大事なふりをしていた、本当はどうでもいいものを簡単に、裏切ってしまう。 カラックスはこうした現実に「それでもいいさ。人間だもの By あいだみつお」とわかった振りなどしない。ぎりぎりまで追い詰めた上での歓喜を爆発させ、うそ臭くなるのを承知でハッピーエンドにしてみせる。 命を輝かせるのは、情熱だと断言してみせる。 どのような命でも情熱によって輝くことができるのだと。
巨大なオープンセットで撮った花火のシーン、そしてラストシーンは女の子を泣かせるには持って来いの情緒的な美しさ。
名作。是非若いうちに見ておいて欲しい。
スヌーピーはビーグル犬である。
初期の作品を集めた本作では、彼はタイプも打たなければ飛行機にも乗らず、哲学をぶったりもしない。
ちょっと気の弱い飼い主であるチャーリーに無邪気にじゃれかかるかわいらしい子犬なのだ。
これを見るためだけにでも買って損の無い一冊。
スヌーピー初登場の4コマ作品は以下のようなもの。
- 頭に花をさし、うれしくてご機嫌で歩くスヌーピー
- 女の子が花に水を上げている窓の下を通りかかる
- 女の子が間違えてスヌーピーの頭の花に水をかける
- 花がしおれてしまい、スヌーピーがっかり
これを見て身もだえしなければビーグルを飼う資格は無い。
買え。話はそれからだ。必見の1枚。
監督のジョンランディスはアニマルハウス、1941とベルーシやエイクロイドなど人気コメディアンを使ったドタバタコメディを作ってきた。そのどれもがスラップスティック好きにはたまらない意味の無さや安っぽさに満ち溢れている。つまり、普通の映画好きな方はほとんど「金返せ!!」という感じの作風なのだ。
おそらくこれはランディス監督を責められない。ベルーシやエイクロイドのパワーをそのままフィルムに定着させ、TVショーの何倍もパワフルにするには突き抜けたばかばかしさが必要なのだ。
疑われるならサタディナイトライブでのベルーシが演じるサムライシェフをご覧いただきたい。ゴールデンタイムにただのキチガイを出しても良いものかとあきれること必定である。
そのようなパワーをもつ主演・監督にFunkBrothersとともにR&Bを作り上げたといっても良いMGsの面々、音楽界の大御所が集まり、ブルースシティ・シカゴ市も全面協力するとどうなるか?
ベルーシの寿命を縮め、われわれの寿命を延ばすのだ。
ちなみに、ジェームズブラウン登場のゴスペルシーンはちょうどスクリーンがステージのように見えるアングルで録ってある。
さらにちなみに、ランディス監督はこのあと作った「狼男アメリカン」がきっかけでマイケル・ジャクソンのスリラーのPVを監督してる。
私はこの本を3回読んでいる。
小学生、高校生、そして今だ。
お気に入りは飢餓陣営。
お腹が空いて今にも死にそうな兵隊たちがいて、お菓子で作った勲章を下げている将軍がいる。勲章を見せてもらう振りして兵隊はお菓子を食べてしまう!!
小学生の時には「グスコーブドリの伝記」だった。苦労して火山技師になった青年が皆のために進んで犠牲になる。
高校生の時には「銀河鉄道の夜」。カンパネルラとジョバンニの話だが、幻想の中で友情と自己犠牲を尊びあった後にカンパネルラが友人を助けるために死んでしまっていたことが判る。
宮沢は仏教思想による自己犠牲を常に語る。くどいぐらいに語る。宮沢は1896生-1933没である。鹿鳴館が出来てから3年後に生まれ、アドルフ・ヒトラーが首相になった年に死んでいる。
彼が石巻で生まれたときには間違いなく、農業は日本で唯一の産業だった。工業無し、商業無しである。ちなみに日露戦争時点で国産の戦艦はない。彼が成長するのと日本が名実共にアジアの帝国主義国家として工業・商業を発展させていくのは完全にシンクロしている。そして農業は取り残された。宮沢は農産技師として、かつ文化のエバンジェリストとして奮闘するが、過労で死ぬ。
こうしたバックグラウンドを踏まえて本書を読んだとき、仏教的な自己犠牲の賛美は取り残された農業とそれに従事する人たちからのヘルプコールに聞こえる。
「4月の気層の光の底を 唾きしはぎしりゆききする 俺はひとりの修羅なのだ」
修羅は怒りに満ちて護法神である帝釈天と戦う悪鬼を指すと同時に、ひと以下/畜生以上の存在を指す。宮沢は仏教思想を啓蒙しつつ、かつ仏に悪罵し、ひと以下であると吐露していたとしたらどうだろう?