ローン会社のコマーシャルフィルムである。
うははははは!!!
たまんねーな、おい。
エロ親父としては乱気流のやつもいいが、やはりネコバージョンのラストシーンがよろしい。
料理しちゃったのかよ!!みたいなね。
ローン会社のコマーシャルフィルムである。
うははははは!!!
たまんねーな、おい。
エロ親父としては乱気流のやつもいいが、やはりネコバージョンのラストシーンがよろしい。
料理しちゃったのかよ!!みたいなね。
最近、僕はエロ親父道をまっしぐらに進んでいる。
「大人でジェントルマン」であることこそ男の有り様であると思い、そうあろうと努力してきたつもりの僕がなぜそうなってしまったのかについて自己分析をしたのだが、おそらくは最近年下の友人達が次々と結婚していっているのが原因である。
“お父さん”は肩のチカラがす〜っとぬけて、楽になってしまったのである。
そんな僕にGizmodeさんがこんなサイトを教えてくれた。
たっぷんたっぷんである。
ノーサポートだとここまで行くのか。取れちゃいそうである。
このサイトの左側のペインにUbuntuバッジを付けました。
金も払ってないのにこんなに良くしていただいているのでせめてバッジぐらいは貼らなきゃねぇ。不義理ってもんだ。
Ubuntuは無料で使えるLinuxOSとアプリケーション群でメール、WEB、文書書き、簡単な画像編集であれば完全にWindowsよりも扱いやすく、信頼性が高いものです。私は昨年から使い始めましたがなんの不満もありません。
iPodも使えるし。iTunesは使えないけどTsutayaで良いし。
ご興味があればぜひお試しください。
奥さんが使っている、4G Click Wheel iPodのHDがお亡くなりになってしまった。
電源を入れても常に初期設定(使用する言語を選ぶ画面ね)になってしまう。真ん中のボタン押しながら「戻る」ボタンを同時に押して診断モードにしてチェックしていくと、HDD R/Wのところで「REG1 FAIL」と出て止まる。
で、ここからが大変。
じゃぁHDD交換すりゃいいじゃんということで、同じ型番の「MK2006GAL」というハードディスクを買ってきて付け替えたが、WindowsのItunesにつなげるとひたすら再起動を繰り返すだけなのだ。
他の交換した方の記事等を読んでいくと、交換したらItunesで「復元」するだけでO.K.と書いてある。
ディスクモードにしたり、PCを再起動したり、Itunesを再インストールしたりしたが、やっぱり再起動が止まらない。
なんだよ、ということでWindowsで使うのをあきらめて、ディスクモードでUbuntuへつないでfdiskでパーティションを切り、mkfs.vfatでフォーマットする。コマンドにするとこんな感じ。
mkfs.vfat -F 32 /dev/sdb1
で、めでたく再起動しなくなる。
もしかしてと思い、この時点でWindowsマシンのItunesにつないでみると、おお!!復元するじゃないか!!
最新のファームウェアに入れ替え、曲の詰め込みまではItunesにやってもらい、PlaylistだけAmarokに入っている最新のものを突っ込んで、出来上がり。見事動くようになりました。
奥さんはこの機会にiPod Nanoとかが欲しかったようだが、直ってしまったモノはしょうがない。
北極のシロクマのためにも、使えるモノは使ってくださいな、と。
セコいことばっかり考えてると人生の切れ味をなくすぜ、ということですが…
今日の私はセコかったです。反省。
面白いことではなくて、ちゃんとしたことをしようとしてしまいました。
世の中は論理ではなく結果で動くので、早く結果にしちゃいたいわけですがその経過で論理を問われました、と。
で、そこで論理で返そうとしたのが失敗。アクションではなくてロジックに皆が夢中になってしまい話が実務的にならず終了。効果の不明確なアクションアイテムだけが残ってしまいました。
「数ですよ、数!! まず数なんです!!」とか言い放って説得力が出せるようにならにゃいけません。
まだまだお上品でいけませんな。反省、反省。
今働いている会社は連続赤字中なので、僕よりもセコくなっちゃってる、っていうのもあるんですがね。
今日からセンター試験だそうだ。
甥が、頑張っている。かなりの時間を準備に割いたように伝え聞いている。
伯父らしいことはしてやっていないし彼に分別がついてからはそれほど親しくもしていないが、成功を祈る。
幼かった彼がもう18になって、世の中に挑戦し始めているのが何ともうれしいのだ。
成功しても失敗しても、まだまだ先は長い。君にはあと60年、俺もまだ40年ぐらいあるしな。
楽しんで歩いていこうじゃないか。お互いにね。
本日の読書はマーケターらしくこんなやつ。
戦略とは何か
コーネリス・クルイヴァー (著), ジョン・ピアーズ2世 (著), 大柳 正子 (翻訳)
いろんな戦略論の「おいしいところ」だけを集めたアンチョコ本である。
「戦略」という言葉が単純に何かしら抽象的な目標や長期的な目標を指していると思っている人も多いのだけれど、戦略とは「持続的競争優位を達成する為のポジショニングを選択すること」と本書では定義している。
ちなみにWikiPediaでは「長期的視野、複合思考で特定の目標を達成するために力や資源を総合的に運用する技術・科学」とされているので、抽象的・長期的な目標を指していても間違いだとは言いきれない。
言いきれないのだけれど、それを戦略と呼んでしまうと戦術との区別がどうにも曖昧になってしまう。
これの区別には「何を」が戦略で「どうやって」が戦術と考えるとわかりやすいし、役に立つ。
例えて言えば「価格競争では誰にも負けない」とか「高品質なら誰にも負けない」とか「何でもかんでも誰にも負けない」ぐらいの話が「戦略」で、「低価格で提供するためにオペレーションコストを極限まで下げる。そのためにITシステムを最大限活用する。」とかは「実施要領」あるいは「戦術」であるのだ。このぐらいの区別はつくようにしておこうね、みんな。
ただ、やっぱり「戦略」とか「戦術」とかの言葉を使った場合に私の意図している上記の区別が伝わらないで「戦略=長期的」と考えてしまう人もいるので、戦略に相当するものを語るときには「目標」とか「KFS(Key Features for Success)」とかに言い換えてしまうことが多い。戦術は「達成手段」ね。そうすると「戦略が無い!!」とか的のずれた議論をしていただける機会も増えてなんだかなぁ、ということも増えるが少なくとも安直な合意によるミスコミュニケーションは防げる。「戦略って…長期的な目標のことをおっしゃっていますか? それとも基本的に持つべき優位点のことを言っていますか?」という会話で限定していけるわけだ。
しかしこの、「戦略」が曖昧になっている/勝つポイントや場所を決めずに商売している人が如何に多いことか!!
違った。もっと正確に言おう。
決めているつもりになっている人が如何に多いことか!!
僕もそのうちの一人かもしれない。
気をつけないとね。目を、耳を開いておかないとすぐにひとりよがりになるのだ。
世の中、信じられるものなんかなくなってしまったよ。
かわいい仔猫チャンだとおもって油断しているとサブマシンガンでダダダ、とやられちゃうわけだ。
孫子の兵法から戦争続きで「坂の上の雲」文庫版全8巻を一気読みした。
坂の上の雲
明治維新から日本という若い国家が「坂の上に見える雲を追いかけるように必死に背伸びする様子」を3人の伊予人の人生を通じて描く司馬遼太郎の代表作。
孫子兵法と続けて読むと、例えば彼我の機械的な能力差である戦艦の砲数、トン数の差がそれほど無かった日清戦争の黄海海戦においては兵の練度が勝敗を決定していること、彼我の戦力差が25万対37万と1.5倍ほどの不利にあった奉天会戦では陽動作戦や「旅順を落とした乃木将軍の軍隊」というプレッシャーが詭計となりロシア軍の判断ミスを誘っていることが印象深く読み取れる。映画にもなっている203高地の戦闘では「我が全力をもって敵の分力を討つ」、つまり戦力の複合的な集中運用によって敵の弱いところを取ることのメリットがよくわかる。
またマクロな視点で見ると満州および朝鮮半島そのものが列強がプレゼンスを競い合う「衢地」となっており、孫子によれが「交を合す」、つまり外交によって自らに有利な状況を作るべき戦場であった。国力のなかった日本としては最終的に英国、ドイツ、アメリカなどの仲介によって講和を結んでいる。
さらにこの戦争の上部構造として司馬遼太郎は「帝国主義の時代」を指摘する。喰う側か、喰われる側かというわけだ。坂の上の雲を見上げていた日本としてはやはり「喰う側」になる、つまり「植民地を持って経済運営を行い、覇権国家となる」のが戦略目標でそれこそが「坂の上の雲」だった。
ところで…
現在の「完全競争資本主義」とも言える流動性の高い資本市場では「買う側か、買われる側か」という新たな帝国主義がある様に思う。80年代には買う側であった日本も近年では買われる側にまわっている。ただし買われる側とは産業リソースであるということを意味するが、少子化はそうであることに決定的な不利となる。
となれば効果的な財の蓄積を持って「買う側」にまわることが国家の目標となるべきであり、短期的に実現されなければ日本の価値は加速度的に下がっていくことになるだろう。
少し話題が飛躍しすぎた。
関連性を確認しつつ読めるということは、孫子の時代から日露戦争までの戦術原理には差がない、ということだろう。
ならば、現在のビジネス競争との関連はどうだろうか?
引き続き、考えていく。
昨年末に引いた風邪だが、いまだに咳と鼻水が出る。ひょっとすると何かアレルギーかもしれない。出かける元気もないのでコタツにもぐって本を読んでいる。
曹操注解 孫子の兵法
ソフトバンクの社長さんも読んだという孫子の兵法に三国志では敵役になっている曹操がコメントを入れた版の現代語訳。三国志の時代は学歴社会かつ官僚主義社会で「科挙」という試験に受かるか、宦官になるか、武芸に秀でるかしないと出世できなかった。曹操はそのような旧弊にとらわれることなく適材を適所に配置した。地元のやくざの親分を将軍に取り立て、それまで非公式だった支配体系を公式化し、かつやくざの親分が法律家や警察権力を使えるようにすることでより効果的で透明性の高い行治が実現できるかたちに整えたり、といったことをしているのだ。閉塞した専門バカや官僚主義者をそのまま登用していたのでは、旧秩序を引き写しにするだけで自分のリーダーシップを確立できないと考えたのだろう。
ただし「これまでのルール」をぶち壊すのであれば「新しいルール」が必要になる。100人程度でやっているベンチャー組織ならなんとか調整で乗りきれるかもしれないが、数万人を動員する戦争をやるとなればそうもいかない。統一した行動規範が必要だ。現在の軍隊でも「歩兵操典」とか行動規範がある。曹操は操典として新しいものを書き上げることはせず孫子の兵法に自らがコメントを入れて皆に配った。
内容は戦略というよりも戦術、つまり戦略を達成する方法に重点が置かれている。何を取るか、ではなくどうやって取るかが書かれている。読んでいくとその原理は2点に集約できる気がする。
以上、である。「囲地にあってはすなわち詭計を用いよ」とかも上記原則に乗っ取って理解できる。囲まれちゃったかどうかは常にアンテナを張っていないと把握できないし、囲まれちゃうってことは敵の方が数が多いわけだから、なにかのトリックを使って彼我の戦力差が彼より我の方が多くなるようにしなきゃ突破できないよ、ということだ。これはランチェスターの弱者の戦略にも通じる。強者と全面戦争など考えず、ニッチを攻めろと彼は言う。さらには小笠原水軍の秘伝書にも「我が全力をもって敵の分力を討つ」というのがあるらしい。なるほど、戦というモノは古来変わらないものらしい。
翻ってこれをビジネスに応用するとどうなるか、を休みの残りをつかってすこし考えてみようと思っている。
例えば…
なにかしらオープンにできるような着想がまとまれば、また別のエントリにしたい。