両翼揃ってないと飛べないぜ - 右と左について

5月 16th, 2008 by tsuyoshi Leave a reply »

えーい、ついでだ。イデオロギー論も書いとけ。

まずは右と左の一般的な区別から。

  • 右翼:国家主義、保守主義、特に日本においては尊皇主義を右翼と称する。
  • 左翼:国際主義、革新主義、共産主義者を指す。

右翼はその意義から言っても常に主張がブレない。もともとあるものを保ち、守ろうって言うんだからブレるはずがない。そのせいなのか、彼らのアジテーションはもう熟練としかいいようがないほどの滑らかさを見せていて、僕はうっとりしてしまう。金もらって業務妨害にいく、チンピラに毛の生えたようなのもいるので一概には言えないが。

左翼はやはり時代に沿ってその姿を変えている。呼び名だって、アカ、ネオアカ、新左翼、極左とよりどりみどりだ。
今あるものが気に入らないので変えちまえっていうのが左翼の基本姿勢なので、右翼のようなきっちりした階層とか組織とかは似合わない。そういう意味では中国共産党を左翼とするのは非常に違和感があって、やはり共産主義に名を借りた王政だと解釈するのがしっくりくる。

残念ながら僕は小学校で教師に反抗し、中学校で資本論を読み、高校でロックにかぶれ、大学で演劇やりながらエスタブリッシュメントへの敵愾心をふつふつとたぎらせていた筋金入りの左翼なので、イデオロギーは社会契約論的観点からしか解釈できない。「神の国日本」とか言われても「神じゃなくて俺の税金で日本は動いてんだよ」と言ってしまう。

ただ、右と左は同じカードの裏表でもある。ナショナリストでなければインターナショナリストになれないのと同じように、伝統についての理解が無い革新は軽薄なだけだし、革新を許容しない保守は旧弊なだけだ。両翼が揃っていてこそ、政治は健康に機能する。

しかし、残念な事にイデオロギーは極に走る。イデオロギーを敷衍するべき対象である人間社会の多義性をいつの間にか忘れてしまい、集団内部の統制を保つためだけの活動だけになってしまったりする。そうなってしまえば、それはヤクザと同じで共同体の内部だけで理解される価値観と様式に沿って動くだけのコミュニティになり、社会的な利他性は皆無になる。

今現在、中国共産党がチベットで行っている、とされている事もそのような種類のものだと受け取られているのだろう。

そりゃぁ右も左もこぞって反対するでしょうよ。だって、それって浅間山荘で日本赤軍がやったことと同じだもん。利多性のない行動様式の強制的な敷衍は…犯罪だ。「イデオロギー」と言う言葉を背負った最後で最大の団体である中国共産党にそれをやられちゃったら、「イデオロギー」を拠り所にしている人たちはやりにくくってしょうがない。「確かにイデオロギーを掲げているが、俺たちはやつらとは違う。」と言わなきゃいけなくなっているのだ。

で、そいういう切り分けをアピールしつづけて云十年、という右翼の円熟はこの機に支持者も増やしちゃうもんねー!ぐらいの技をまたしても見せつけてくれ、僕はうまいなぁ、とうっとりしてしまうのだ。

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