収穫逓増はどこへ行った

6月 22nd, 2009 by tsuyoshi Leave a reply »

「街の電気屋さんがなくなっていくように、中小ソフトウェア企業もなくなっていくんじゃないか」と言うお話。

畑があるとしよう。そこに小麦がなっていて、収穫をする。刈り取れば、小麦はなくなってしまうのでどんどん減っていく。なくなっていくと、それほど良い畑じゃない場所でも小麦を作らなきゃいけなくなって、効率が落ちていく。これが「収穫逓減」だ。

逆に、取れば取るほど効率が増えてしまうものもあるよね、というのが「収穫逓増」だ。
ソフトウェア業界のパッケージ事業とか、設備投資先行のサービス事業がこれにあたる。一人に売るのも、一万人に売るのも、かかる製造原価はほぼ同じで、販管費のみ投入量を増やせばその分売上がそのまま粗利になって、事業効率がガツガツ上がることになる。ちなみに、そんな人たちが大好きな指標はやっぱりEVITDAで減価償却の話題にはちょっとナーバスだったりもする。

収穫逓増が効くには、あらかじめ出来上がっている「製品」に以下のような条件が備わっている必要がある。

  • 一から自前で作るには手間がかかるもの
  • 既に利用したい機能/サービスが実用上支障なくターンキーで使えるもの

日本国内においてハードウェア、ネットワーク、OSとRDBMSを含むプラットフォームでは既に収穫逓増とよぶよりもコモディティ化が著しいと表現したほうがよい段階にある。そのような状態では当然「収穫逓増」を目指す動きは加速する。パイをどれだけ取れるかを競っていたのが、パイを取らねば事業に必要なサプライチェーンを維持することが出来なくなる段階にある。パイを取るためにはアプリも作ってやらねばならないが、幸いにもインド人やフィリピン人が安い単価で積極的に開発してくれる。

十分な販管費が準備できない中小ソフトウェア企業は収穫逓増戦略は取れず、顧客とのOne2Oneを前提にした「少数精鋭のソフトウェア開発」も、おそらく見向きもしてもらえなくなるだろう。実用上支障が無いものが手に入ることが十分な販管費によって周知されるからだ。

この様な状況下では「収穫逓減」的市場観をもって少数の優良顧客との安定的な取引をすることが出口になりそうな気がするが、ところがどっこい「コースの定理」によってITは内製化することの方が理にかなう、と顧客は判断し始めている。極めてニッチな部分のスペシャリストとして高収益案件のみを小規模な部隊で手がけることぐらいしか、僕のイメージでは出口が無い。

スペシャリストになれる分野が無ければ、徹底したコモディティプレイヤーとして振る舞うまでだ。

Advertisement

コメントをどうぞ