Archive for 2009年8月

出前調査

8月 30th, 2009

今日は選挙である。

「民主党が勝つらしいよ」

と奥さんに告げると、

「なんで終わってないのにそんなことがわかるの?

ひょっとして、出前調査って奴?

判った! 手前味噌だ!」とのたまう。

出前調査…悪いアイデアではない。

「来来軒でーす。ところでお宅は自民党?民主党?」

手前味噌は、ある種の核心を突いているだろう。

Twitterを会社で使う

8月 28th, 2009

Twitterで会社のアカウントを作って活動開始して見たので、現在の印象をまとめておく。

背景のようなもの
Twitterの法人利用では例えばIBMの広報や、DELLの特売情報などが先行者としてあったわけだけれど、そうした先行者がTwitterに感じている期待値と私の考えている期待値とは少し差があるように思う。

ご存知ない方のために説明しておくと、私は上場以来4期連続大赤字、本日時点で7連続ストップ安の後ストップ高という「ほんとにもー何やってんだか」な会社で本業の「開発」事業とは少し軸足の違う、「サービス事業」の1商材を担当している。なんでそんな会社入っちゃったかなぁ、というのは私も日々悩んでいる所なので放っといてくれ。

で、私がやっているのは「携帯電話関連のアプリ・サイト・機材の検証をやるのに端末、テスター、SEを貸す」というサービスだ。コネクト・テストラボっていうんだけどね。非常に小さな商売だけれど、一応利益が出ている事になっている気がしないでもない。顧客は主にサイトやコンテンツの制作をやっている人達なので、Twitterの利用者とは相性がいい。私の期待値としてはサービスブランドに対する認知、共感、想起をTwitterの利用者に持ってもらうことが大きい。なぜなら、検証サービスを突き詰めていくと提供しているのは「端末と回線とテスター費用の外化」というサービスだからだ。つまり、コモディティでありリソースを売っており、商材その物での差別化、購入選択要因がないため、「信頼感」や「ブランド」が重要なわけだ。
で、同様のサービスを提供している会社は都内に4-5社あるのだけれど「信頼感」や「ブランド」の点において、前述したような「ほんとにもー何やってんだか」な状況は非常に都合が悪い。いわば、マイナスからのスタートだ。

「え〜。でもさぁ、テスト用の端末チョイスとかさぁ、ノウハウがあるんじゃねーの?それが差別化ポイントじゃん?」と言われる向きもあろうが、テスト用に端末チョイスをした時点で発生しているかもしれないバグの一部を無視するリスクを背負ってしまっていること無視して、工数を削減していることを”ノウハウ”とよぶのであれば、それで結構。少なくとも僕はお客様にそれは”リスクだ”と伝えている。で、ここでもう一つ「検証作業に対する顧客の啓蒙」という要素が必要になる。

15年前にやっていたウイルス対策商売の時には同様のテーマに対して、32Pのリーフレットを隔月で出してチャネルの営業が配りまくるっていう手をつかったが、印刷物のご利益はもうあんまりないので、この手法は費用対効果が悪い。

やりたいこと、つまり信頼感の醸成や啓蒙を行うのには継続的でなおかつ直接関係が維持できる手段が望ましいが、メールやDM、リーフレットなどの印刷物では費用対効果が薄い。

ということでTwitterなわけだ。

やっていること

例えばIBMであればTwitterは「多くのチャネルの一つ」であって、他のチャネルと同様の情報を流していくことで重層効果が期待できるのだろうし、DELLならば特販情報へのリアルタイムなレスポンスが期待できる。確か、中野のカメラ屋もそんなことだったはずだ。このセンならば「細切れのチラシ」的発想で情報を送っていけば良い。

が、僕がやりたいのは「ブランディング」と「啓蒙」で…それには”ショーケース”が要る。
認知、理解、共感を経て信頼は生まれる。マグロの解体ショーなんてのは最たるもので、例えばロエベが毎年うちの奥さんに送ってくる30P/4P+特色4つのカタログとかも「我々はこういうことが出来て、それはあなたを満足させる」ということを伝えたいがためのものなのだ。このようにして信頼が生まれると「革のカバンになにやらマンガのついたモノ」ですら、高値で買ってもらえる。

閑話休題。

今回僕がショーケースに選んだのは、我々が提供しているサービスその物だ。
つまり、多くの携帯電話で同一のXHTMLを表示させ、その差異を説明している。
これによってオーディエンスは我々のサービス内容とその便益が具体的に理解できるだけでなく、継続的な「購読」によって信頼感の醸成にも効果的だと思われる。また、具体的な差異が示されていることで啓蒙効果も期待できる。

ただ、Twitterでの発言は「緩いつながり」のなかでのものであり、あまり定型的なものは感覚的に排除される可能性がある。実際、私もIBMの広報のフォローは止めてしまった。だって固くて面白くないんだもん。”人間臭い”のがTwitterの面白みじゃんよ?
ということで、”緩い”ものも取り混ぜていくわけだ。担当者のキャラクターが見える程度に、なおかつ「信頼感の醸成」を損なわないバランスを日常のオペレーションのなかで判断しながら展開しようと考えている。具体的には質問やコメントには必ず「人間的に」答えること、1日1回程度「現況報告」をとりまぜることを考えている。

以上、なんとなく参考になってくれれば幸い。

目標、組織、人

8月 23rd, 2009

司馬遼太郎の「殉死」を読了した。作家は日露戦争の英雄、乃木希典が大嫌いらしくこき下ろしつづけているのだが、読みながらいくつか思うことがあったので記録しておく。

ドラッカー先生曰く、組織は目標に従う。なにを獲得するのかによって、どのような組織であるかが決定されるべきであるという。ただ、何かしらの目標があって、それを獲得するために適当な人材をあてていれば良いけれど、そうはできなかったり、あるいは後から”間違っちゃった”ことに気がついちゃったら…どうすりゃいいんだろう。

日露戦争のときに旅順攻略をまかされて「無能」を証明しちゃった乃木将軍がいい例だけれど、結局だれも彼を更迭出来なかった。彼自身も、自分自身を無能だとは思っていなかったらしい。後付けの理由はあろうけれども、結局それを許容する余裕を社会と組織が持っていたって言うことなんだと思う。”余裕”が社会の慣習とか、関与する人員の教育・啓蒙の不足によるものであろうとも、だ。そういう場合には、「こいつは無能だ」と言ってまわりの大半がそれに同意したとしても、そいつを舞台から降ろす決定打にはならない。逆に、「極論を述べる、現状を打破する工夫のない奴」と返り討ちをもらったりする。

そのような組織で、自浄作用はもちろんない。この様な組織では、目標に指向してではなく職能に指向して編成され、従って部分最適な「作業」が繰り返され、組織体全体の生き残りは関与する全員が問題意識として持っているものの明らかな目標はついに示されない…ことが多い気がする。

僕の知っている範囲では、リーダーの交代以外にこういったマイナスループを解除する方法はない。
別のフレーズに言い換えるならば、そのような気配が見えたならばリーダーは目標を確認し、組織全体のベクトルがそちらを向いていることを確認し、そうでなければ編成を替えなければならない。出来なければ、交代するか、組織全体でダメになりつづけるかだ。

構成員としては、その組織に見切りをつけなきゃいけないが…さて僕にはどれほどの自由度が残っているものか。

ドリーム・ウォーク 松居 和, 馬場 敬一

8月 18th, 2009

gigimakiさんのやっているBlogumentalyのちょっとした改修をお手伝いしたお礼にもらった絵本。

松居氏のスクリプトは一人で歩くこと、祈ること、誰かと一緒に歩くこと、語り合うことをいろんな距離感で語っていく。絵を書いている馬場氏は、ものすごいエネルギーを画面に詰め込んでいる。抽象/印象派というよりも、いわゆる野獣派に近い筆致であると思う。

正直に言おう。
文章は、余計だ。馬場氏の絵だけで、きっちりとテーマが伝わる。

僕が野獣派が大好きであるからかもしれないけれど。

双生児 プリースト

8月 17th, 2009

プリーストと佐藤亜記は小説界のジョン・シナとバチスタといってもよい、と思っている。本書もやはり、重量級のエンタテイメントである。

プリーストは映画化された「奇術師」や「魔法」などでも同一性の危うさを描いている。が、例えば精神世界の描写に同一性の混濁を表現させた筒井康隆の「パプリカ」と比べると、徹底した歴史資料の読み込みに基づくミスディレクションの構築、小さな矛盾の積み上げ、大きな矛盾のためらいのない断定、異なる世界を乱暴に一つの器に盛り込みつつも、それぞれの世界を微細なまでに描写して見せる筆力と構築力は帯に書かれた「完璧な小説」という讃辞もさもありなん、である。

その分、読者にはやさしくない。
この本の読者は濃密な感情と時代の描写を咀嚼し、理解しながら、同時に矛盾を解き明かさなければならない。そして、残念ながら矛盾は明かされない。絡み合ったプロットと説明は、そのどれが正解であるのかを判別させてくれない。読了しても、読者は何を基準に状況を理解すれば良いのかわからず、呆然とせざるを得ないのだ。原題「The Separation」の通り、分割されたいくつもの現実が絡み合うなかに、読者も巻き込まれてしまう。主人公の双生児達の混乱と矛盾を共有し、小説は終わる。

作者は数百冊の背景資料に目を通してから本書を書いたそうだ。
どおりで、ディテールは分厚く人物は生々しい。

つまり、ものすごく面白いってことです。


夏への扉 新訳

8月 8th, 2009

僕の大好きなロバート・A・ハインラインを「アルジャーノンに花束を」を訳した小尾芙佐が訳し直したもの。これは読まずにいられようか。

期待に違わず、良い。
今回の小尾版は、福島版に比べてよりやわらかな文体で「技術バカで頭に血が上りやすくて、でも未来を信じて努力を止めない」ヒーローのドタバタを…そうだな、スケッチしているとでもいえばいいかな。
旧訳である福島正美版はテンポと歯切れの良い、「強いアメリカ」、「勧善懲悪」的な”物語のフレームワーク”を感じさせるものだったが、小尾版はひらがなの多用や、福島版が訳さなかった、あるいは置き換えたセンテンスを訳すことでより主人公の主観に沿った物語になっている。読者はより素直に主人公のドタバタを味わえるようになっている。

さらに何といっても、福島版で垣間見える「テクノロジーへの憧れや無条件な信頼」が本作ではそれほど度感じられない。
2009年の今では、本作に描かれた「夢の2001年」程度のテクノロジーではもう誰もビックリしない。「歯医者が写真をとりたがる、夢の歯の再生治療」ですら、先週実験に成功したニュースが出ているし、「劇場全体が無重力になる映動」が体験したければスクリーンと座席の動きで脳を騙すやつがディズニーランドにある。なにより「常識と科学と工業技術で、今日より明日がよくなる」なぞと信じ込んでいる奴は、うちの会社の社長ぐらいだろう。
かかれた当時には作品の主要な「味わい」であった技術やタイムトラベルは - それなりのページ数が説明に咲かれているのは『翻訳』であるから致し方ないとして - 既に小道具に過ぎない。それよりも味わうべきは「よりよい明日に向かって今できることを最大限にやる」主人公と猫のピートの心意気だ。「家じゅうのドアを開けてみれば、そのなかのどれかひとつは必ず、”夏への扉”なのだという信念を絶対に曲げようとしない。」という”絶対楽観主義”こそが本作の醍醐味であって、たのしむべきメッセージだ。

ということで、メッセージがより楽しめる小尾版をおすすめする。

でも、もし主人公と僕が仕事をしたとしたら…「僕がこれで完成といったら製品は君のものだ」とか言われたら「ふざけるな! 健全なキャシュフローをもたらす顧客こそが神、神への忠誠はPDCAサイクルによるのみ!オマエの自己満足は神への捧げ物にはならぬ!」と言ってしまうだろうな。こと、商業性については天才の仕事よりも地道な製品ライフサイクル管理の方が幸せにできる人数は多いもの。

コンテンツとビークルとコンテキスト

8月 1st, 2009

Twitterで遊んでたらいつのまにか、gigimaki氏の仕事であるBLOGUMENTARYの改造を手伝わさせてもらえることになった。Forward/BackwardボタンをWordpressにつけるというもので、手間取るかなと思ったが共通関数を見つけてけっこう簡単に作業を終えることができた。

BLOGUMENTARYはドキュメンタリーをブログ的なスピード感と距離感で展開するものだということなのだが、これを眺めながら思ったことを少し書き留めておく。

ドキュメンタリーは、ある人物/事象の側面を切り取っておおやけに示すことである。その成果はもちろん受け取り手のコンテキストにもよるのだが、そのドキュメンタリーをデリバリーするビークルにも依存する。例えば「半勤半農」のドキュメンタリーが第3文明に載っていたら非会員の人たちは「なるほどセンベイ方面ではいま農業がホットなのね」というコンテキストを読み取るだろう。ビークルに付与されているブランドがコンテキストの主要要素になって、コンテンツの意味合いを変えていくのだ。AGEHAなどのギャル雑誌などはビークルその物がコンテンツだと言っても差し支えないぐらいの強烈さをビークルその物が持っている。

WEB上のメディアで、そのような個性やキャラクターを備えたビークルは2ちゃんねるぐらいだったのではないか。もちろんそれはネットの匿名性に乗っかった野放図なものであったのだけれど。

例えばTwitterで30〜40代の人たちが実名&本人画像(俺もだ!)で日々の情報発信を始めているように、匿名性に乗っかった無作法なものではない、”きれいな”感覚が出来始めている。

コンテンツが綺麗だって言う意味じゃないぜ。喧嘩するにも相手の顔が見えて、ビビッったりナメたりがリアルにできて健全だ、ぐらいのご理解をいただきたく。

そういう”きれい”な環境が出来始めているのなら、あともうすこしでジャーナリズムはインターネットで花開くんじゃなかろうか。新聞や雑誌はどうなるかわからないがTVはデモグラフィックとして巨大なカバレッジを持つメディアとして存在し続けるだろう。
デモグラフィックで捕まえきれないニッチな部分はおそらく紙からインターネットへ移行する。

この様にして出来上がる数多くのニッチメディアと足並みを揃えてそのニッチに向けた商品ブランドが出来ていけば金も回ってみんなハッピーだろう。

いずれにせよ、後もう少しでそういうことになるんだという気がしている。