昨夜、Twitterで弓屋さんのつぶやきに反応(面識も無いのにすいません)してから、表題の件が引っかかっているので、少し書き出してみる。
Wikipediaで「交渉」を引くと、ほぼゲーム理論的なことが書いてある。ゼロサムとか、非ゼロサムとかね。交渉そのものがゲーム/価値の争奪・分配であるという理解だ。
ただ、ちょっと見方をひねると – 交渉はより大きな枠組みのゲームのための手法であるとすることも、できる。
より大きな枠組みのゲーム(例えば太平洋地域でのシェア40%獲得)があった時に、個別の交渉ではゼロサムどころか”価値が測定できないこと”が許されるケース(当該地域でキーマンの信頼を得るため、会話の継続が保証されること、とか。)もある。いやいや、それが得るべき”価値”なんだよ、という反論も勿論あるんだけれど「より大きな枠組み」を運用していく上で指標にしようとしている数値には反映されない/されにくいものだろう。(「で、シェアはいつ上がるの?」みたいなね。)
交渉を単一のゲームではなく、「ゴールに至るプロセスのひとつで、ステークホルダーが責任と利得を調整していく作業」と定義してみたときには”恣意的な価値判断/双方の合意が必ずしも見られないが、プロジェクトの運営には問題が無い結論”があり得る。
また、付与価値(報復か報償のどっちかで、ね。)の有無で、ゼロサム交渉が非ゼロサム交渉になったりするケースもある。「核開発止めなかったら爆撃だけど、どう??」とか「今回の発注もらえたら、ビジネススキーム入れ替えて受託開発から常駐サービスにします。」とかね。これも「交渉本体とは別の枠組みからの価値体系のインサーション」だ。
交渉それ自体を個別のゲームとして理解するのは勿論、順当に機能するし有益だ。だけど、単一の主題を扱っているわけではない/プレイヤーが複数/価値基準が複数/交渉手法が複数といった”複合要素”を気にしなきゃいけないときには”ゲームとオペレーションの集合における調整作業”という理解が必要だ、と思う。