Archive for 2012年2月

ヒア アフター

2月 26th, 2012

クリント・イーストウッドの映画はテンポがのろいのを改めて確認。

じっくりと描くといえばその通りなのだけれど、死後の世界と交信できるというエキセントリックなネタを出しておいて話をパラレルで進められると見ている方としてはとても辛い。エキセントリックなネタで上がった血圧の行き場がなくなってしまい、ゆったりとしたテンポでくまなく描かれる人間同士の諦めや絶望、日常に現れるほのかな希望とその喪失、なんていう”イーストウッドにやらせたらピカイチ”なドラマも噛み締め辛くなってしまう。

作中で何度もディケンズに言及しており、かの小説家に対するオマージュ-人間のあり方その物、友人や家族関係の破綻や再生を繰り替えしていくさまを主題としているのが存分に感じられる。しかし(”心霊もの”でありながらなのだけれど)丁寧に描いてきた人間関係がいかにもアメリカ的なラストシーンで締めくくられるのも”イーストウッド流”である…

例えば大切な人を失ったばかりの人は共感し、救われるだろうと思う。冒頭の津波のシーンは先の震災を連想させるしあの時に大切な人を失った方々にとっては、死者との交信を通して自分自身が再生されていく様子は救いになるに違いない。

来世がどう、というのはこの映画にとってはおまけでしかなくて「人生に絶望した3人が希望を再発見していく物語」というのが正解だ。
んで、それってダーティーハリーからこっち、イーストウッド映画の根本理念でも、ある。

 

REVIEW 大人のためのシェアハウス案内

2月 25th, 2012

誰かと一緒に暮らす、ということについて柳田国男はハレとケ、華やかな非日常の祭りと淡々と過ぎていく日常の共有であると看破した。でも、なぜだかケはとてもつまらないことで、ハレじゃなきゃいけないという世の中になっているような気がする。

なぜだかみなさんは「あなたの人生を変える片付け」とか「特別なあなたに特別な歯ブラシ」とか無理やりにケをハレに見せかけて暮らしを「毎日パーティ」にしようとするのだけれど、コミュニティに属さない人ほどこうした”言い換え”が大好きなように思える。自分の位置を量りかねて特別ななにか、に評価の有り様を転嫁しているかのようだ。楽しいことやうれしいことは財布の色や綺麗な部屋じゃなくてそれを喜んでくれる誰か、から来るのだと僕は思う。誰も喜んでくれないのにそれを続けるのはとてもエネルギーがいることだし、酬われない。もちろんそれはとても不健康なことだ。

本書はダイアモンドオンラインなどでうつ病に関する記事の連載をしていた西川敦子氏が書いた共同生活の入門書だ。中身はまさにガイドブックで、さまざまなシェアハウスのあり方、費用概算、守る/決めておくべきルール、情報収集先などが肩のはらない、リラックスした文体で網羅されている。

おかずをわけあったり、一緒に掃除したり、誰かと一緒に暮らすことで健康なバランスがとれる。自分が誰なのか、を誰かに決めてもらわなくてもよくなる。コミュニティにとらわれず、個を保った上でそういう暮らしをしている若者がいる。日本も、成熟してきたということなんだろう、と思う。

 

A Song For You

2月 23rd, 2012

I’ve been so many places in my life and time  ずいぶんいろんなところをふらふらして、
I’ve sung a lot of songs I’ve made some bad rhyme 歌いつづけてたけど、完璧ってわけじゃなかった
I’ve acted out my love in stages 愛、とかっていうのもステージの上でさ
With ten thousand people watching なんと1万人相手にだよ
But we’re alone now and I’m singing this song for you でもいまは二人きりで君だけにこの歌を歌う

I know your image of me is what I hope to be カンペキ君ってのが君の、僕へのイメージ
I’ve treated you unkindly but darling can’t you see 君にひどいこともしたけど、わかってよ
There’s no one more important to me 君が世界でいちばんだいすきだ
Daring can’t you please see through me おねがいだからわかってほしい
Cause we’re alone now and I’m singing this song for you だっていまは二人きりできみにこの歌を歌ってる

You taught me precious secrets of the truth withholding nothing 僕にはなにも隠さず、ほんとうのことを言ってくれた
You came out in front and I was hiding 堂々とした君と、逃げ隠れしてた僕
But now I’m so much better and if my words don’t come together いまはだいぶましだけど、うまくことばにできないんだ
Listen to the melody cause my love is in there hiding メロディーに隠してあるから、見つけてくれないかな

I love you in place where there’s no space or time 時間も距離も、もう関係ない
I love you for in my life you are a friend of mine 愛してる。ずっと君と一緒にいる。
And when my life is over remember when we were together 僕がくたばるときには一緒にいた時間を思い出してくれ
We were alone and I was singing this song for you 二人でいて、僕が君に歌ってあげたときのこと
We were alone and I was singing this song for you この歌を、君だけに歌っていたときのこと

 

“君”のことを語るときには全部過去形だったり、 No space or time なところへいっちゃったりしているので、多分、死んでしまった恋人にうたっているうたなんだろうと思う。もちろん、レオン・ラッセルやカーペンターズ、レイ・チャールズまでいろんな人のすごいパフォーマンスがあるわけだけれど、僕のベストはマイケル・ブーブレだ。

 

男臭く、かつ甘い声で「僕がくたばるときに、思い出して欲しい」なぞと歌い上げて様になるのはこいつぐらいだ。僕が女の子だったらイチコロだろう。
オーセンティックなオーケストレーションが古くさく響かないのも並外れた力量があるからこそ。スゴい。

REVIEW:DVD モールス

2月 19th, 2012

人生折り返しちゃったオヤジが”少年の初恋ネタ”に弱くないわけがない。

いじめられっ子がいて,引っ越してきた女の子がいて、その子が不思議ちゃんで、壁越しにモールス信号で会話して…とくればその甘酸っぱさにオヤジの胸はキュンキュンと音を立ててしまう。ここまでなら萌えアニメなわけだが、その甘酸っぱさに血の鉄臭さと子供特有の陰惨な、アンモニアの匂いがするいじめが加われば、それは上質なモダン・ホラーだ。

技術論を言い出せばタイトルでもある”Let Me In”、ヴァンパイアが部屋の主の許しを得なければその部屋には入れないことと少年と少女がお互いを受け入れ合うことの重ね合わせがボヤけていたりとか、200年間12歳のままで入る少女について”歴史とナイーブさの両面性”が掘り下げられていなかったりとか、いろいろと不満はある。が、そんなものをこえて、少年の現状からの出口を渇望するいじらしさ、少女の素直な恋心、お互いを思いやるやさしさが、その他の人たちの死を前提にしなければ成り立たないことに憐れみと共感を覚える。生きていく時には,多かれ少なかれ、誰かの犠牲の上を歩いていかなきゃいけないのだけれど、弱者ほど極端な形でそれ/誰かを犠牲にすること、を突きつけられるのだから。

どうにもならない未来でも、選び、勝ち取っていくラストシーンが、良い。

 

REVIEW: Zippo ハンディウォーマー

2月 19th, 2012

これ、いいです。今年の正月に入手したんですが,もう手放せない。

僕は、これを入手するまでカイロというモノをもったことがなかった。インスタントカイロの紙っぽさがなんとも嫌だったし、酸化鉄をこんなに消費して良いものかという何だか半端なエコ意識もあった。が、これはイイ。朝メシを喰って,出かけるまでの間にその日の予定を反芻しながら帰宅時間を予想し,それに合わせてオイルを計ってウォーマーの中綿に染み込ませ,火口をライターであぶって「気化反応による発熱」を開始させる。
この、儀式めいた所作もおもちゃゴコロをこちょこちょとするし、なんといっても「燃えてもいないのに暖かい化学反応による発熱」というやつがオトコノコとしてはたまらんのだ。

実用面でも,まったくよろしい。

燃料であるジッポーオイルは、本製品のオリジナルであるハクキンが推奨するベンジンよりよほど異臭感が少ない。また、喫煙経験のある方なら分かってもらえると思うが,あのジッポーオイルの匂いというのは習慣性があって、嗅ぎ慣れるとたまらんのだ。

費用面でも、300円のジッポーオイル缶を買って毎日12時間つかっても十分2週間持つ。一日のコストに直したら50円以下だ。インスタントカイロも安かろうが、なかなかここまでのコストパフォーマンスは出まい。火口(東急ハンズとかで700円ぐらいで買える。)は1年に一回交換が必要だそうだが、それでもランニングコストは安い。
「安い,安いというがお前は金がないのか」と勘ぐられる向きに言っておくが、私は金がない。が、それにも増してこのZIPPOハンディウォーマーの”安い”というのは”エコである”というのと等価と思ってもらってよい。大量の酸化鉄とか,パッケージフィルムとか,不織布とかを使わずオイルとプラチナ触媒で暖をとるのは圧倒的に地球にやさしいのである。

発熱量も十分だ。コートの内ポケットに入れておくと,熱いぐらいになることがある。測ったわけではないけれど,多分5-60度ぐらいは出ている感じがする。私はデニムのバックポケットに入れておくのだけれど,たまに入れ替えないと火傷しそうになる。が、火口が劣化してくると発熱量が落ちたり、使っている途中で熱を発生しなくなったりするので交換が必要だ。
私は、2回ほど火口にオイルをこぼれた燃やしてしまったら、見事に熱を発生しなくなったことがある。が、交換すれば元通り。シンプルな構造の製品というのはこういうのがよろしい。アウトドアの本家,コールマンのウォーマーが仕様に凝りすぎてAmazonなどで低い評価を受けているのを見ても、Zippoのシンプルさはユーザビリティ上重要だとおもう。

ZIPPOというブランドについては…どうも身の回りの販売店ではハクキンよりもこちらのブランドを見かけることの方が多い。というか、ハクキンカイロを売っているところを見たことがない。ハクキンカイロという名称にはどうしても昭和の匂いがついてくるが、Zippoハンディウォーマーにはアウトドアーでヘビーデューティーなマッチョのイメージが…無いか。昭和の匂いはないかもしれないが。

寒い冬の日にポケットにこれが入っていて、かじかんだ指先を温めてくれるのは…シアワセである。

 

 

 

REVIEW: ZERO AUDIO ZH-BX500-DC

2月 18th, 2012

6,000円でBA(バランスド・アーマチュア)のヘッドホンが買える、というところだけで買ってみちゃったモノ。そろそろ3ヶ月ぐらい使っているので、レビューを書いておく。

私が持っているもう一つのBA型、SURE E3とくらべると圧倒的に表現力や音圧が低いのはもうしょうがないのだけれど、でもこれはこれで、イイ!と思う。低音域の音圧が比較的低いものの解像度はしっかりとしている。引き換えに高域がよく出ているように感じられるが、どちらかといえばシングルドライバであることによるレンジの偏りだと考えた方が良さそうだ。エイジングによってこのあたりがもうすこしこなれてくるかと思ったが、そんなこたぁなかった。もう、パッケージングがそういうモノである、ととらえた方が良い。

例えば、ノラ・ジョーンズのような女性ボーカル/アコースティック系を鳴らすとドンピシャリにはまる。70年代のニュー・ソウルとかロックもいい。打ち込み系とかビート系は低音に比べて高域が鳴りすぎて疲れる。コルトレーンやマイルスは気持ちよく聞ける。

価格、性格からして私にとっては非常に都合の良い「通勤用ヘッドホン」になっている。無くしたり、断線しても6,000円だけど、BA特有の高い解像度で気持ちよく鳴ってくれるからだ。

ということでオススメ。ケーブルと外観がチープなのは我慢するべし。

 

「買ってもらう」ことのあれこれ

2月 17th, 2012

Facebookに

「マーケティング」てのは「お客さんに買う気にさせること」なので、古いも新しいもあるわけない。変わるのは、メディアとメッセージングビークルだ。

って書いたら、マーケティングを生業にする友人から「タイガイニシロ!!」とお叱りをいただいた。もちろん、僕の書いたエントリはとっても間違えていて、マーケティングはビジネスに関わる皆さんの普段の努力によって、日々進化/深化している。でも、それでも、変わらない部分はあるのだと思うし、変わらないと断言するコトの価値もあると思う。

「マーケティング」とは、なんでしょう?

昔から、とっても不思議なことがある。他の職種は全部日本語なのに、マーケティングだけ「カタカナ」なのだ。Market:verb. ”売り込む”の名詞形としてのMarketingが語源的には正しかろうと思うのだけれど、”売り込み係”じゃ営業どころか売り場の販売員さんとかみたいだし、宣伝もやるし、価格も決めるし、時には資金調達もしたりするので、ふわふわした「マーケティング」という言葉で残っているのだろう、と勝手に思っている。で、やっぱり「マーケティング」の人は宣伝考えたり”製品訴求”を専門にしていることが多かったりするんだけど、それは…マーケティングの開祖、コトラー大先生のおっしゃる「マーケティングミックスをコントロールする役割」からは遠いんじゃないの、と。

マーケティングミックス:製品、価格、商流、プロモーションの4要素(4p)を組み合わせてビジネスを最大化していくのがマーケティングの役割である、と先生はのたまっている。僕もそう思う。そして、それは時として決して華やかでも、ロジカルでもなく、汗と涙と酒とコネを大量に使わないと組み立てられないことも、知っている。リーダーシップのとり方を間違えると、製造、営業、宣伝、経理など各専業部門の御用聞き/調整係にしかならない。

こういう「マーケティング」は本質的に変わりようがない。

もちろん、現状認識に使用する技法、データ取得の方法、速度、範囲、そして成果としての”マーケティングミックス”を展開する範囲、方法、速度、価格はものすごく流動的だ。ここ10数年、僕が真面目に仕事するようになってからでも流通コストは世界レベルで10分の1ぐらいになっているし、製造コストや情報処理コストはさらに劇的に下がっている。が、「特定の市場において何が勝てるか」を考え、投入し、メンテナンスしていく作業は不変だ。結果として(各種議論はあろうとも)利益を出さなければいけない、という点も不変だ。

「変わらない」とすることの強み

「おいおい、原則論かよ」というなかれ。この視点で「変わらない」とすることで、「変わっている」コトに気がついていない人と同じ言語で会話することが出来る。

例えば、「ソーシャルの活用」なんていうテーマがあったとする。

  • あの企業は***をやってリピート率が3倍になった
  • グループクーポンを使うことで、新規顧客が2倍になった

などなど、刺激的な成功事例がわんさかとあるし、実際にソーシャルメディアでのコミュニケーションを実感してしまうと、距離、時間、人間関係構築のコストが圧倒的な低さや、コールに対するレスポンスが増幅されていく”快感”、膨れ上がっていくレスポンスに自分が参加している帰属感に「これは革命だ。いままでものとはまったく違う。」と感じたりする。でも、「変わっている」コトに気がつかない人からすると、それは「規模とスピードが早くなっていて、しかもコントロールできない、とってもリスキーな環境」に見える。

これを、

  • メディアが双方向になり、かつコール/レスポンスのスピードが徹底的に速くなって、分単位になってる
  • メッセージングビークルの役割は、ブランディングからバリュー構築にシフトしている
  • でも、市場と対話してマーケティングミックスを決めていくのは変わらない
  • でも、そのスピードは圧倒的に速く、かつ市場と同じ目線にならなきゃいけない

みたいなロジックにすると「リスキーな環境は同時にチャンスで、きちんとコントロールすれば競合よりもプロダクトライフサイクルを数倍高速に回転させられる。」という会話が、「変わっている派」も「変わってない派」も同じ価値体系の中で会話が出来る。

ミックス、ミックス

情報がデジタルになることでのコミュニケーションコストの低下は、2ちゃんねるで既に明らかになっていた。距離、時間、コミュニティ、世代、性別を飛び越えて”祭り”は盛り上がっていたでしょ? あれがもう10年前だけれど、Mixiを経てTwitter,Facebokと個人間メディアが発展してきたことで、ビジネスエンティティとコンシューマーのコミュニケーションは当然のように”マス”だけでは済まなくなっている。 ソーシャルメディアでのコミュニケーションは個人間コミュニケーションであり、それぞれのパーソネルが自分の関連する範囲において主体的に活動するため、今までは”ブランド”として属人性を排除していたビジネスエンティティが、一つのパーソネルとして取り扱われる。そして、コミュニティへの参加を期待されている。半面、距離を飛び越える能力では”マス”に勝るものはない。日本中の八百屋でトマトを売り切れ状態にする、なんてのはFacebookにはまだできない。なので、これらはミックスされなければならない。

「ミックスしなきゃいけない状況」は、コミュニケーションのところだけではなく、商流においても同様に発生している。店舗売りから、通販、WEB販売、レコメンデーション、グループクーポン、オークション、共同購入といった商流そのものの多様化、複雑化がやはりデジタル化とグローバリゼーションによって発生している。これも、ミックスされ、コントロールされなければあっという間に価格競争だ…

結論めいたモノ

ということで、マーケターが知らなければいけないこと、やらなければいけないことは飛躍的に殖え、かつ複雑化している。それでも、マーケティングの本質は変わらない。すべては、適切なマーケティングミックスを発見し、プロダクトライフサイクルを適正化するために、あるのだ。

 

個人事業も始めたことだし、ブログ更新再開していきます

2月 16th, 2012

震災のせいではないのだけれど、1年ほどブログの更新を止めてしまっていた。
身上も変わったことだし、そろそろ更新を再開しようと思う。

「身上が変わった」のは、個人事業を始めたことを指している。
志があって始めた、というよりも志が成らなかったためにやむを得ず、開始したという感覚でいる。
とはいえ、まずは順調に業務委託/ITコンサル系のお仕事をいただいてたり、また、古巣からもマーケティングサポート系のお声がけをいただくなど、ありがたい限りである。

しかし、である。
どうせなのでたくさん仕事したいのだ。

例えば、以下のような思いを持っておられる方は、ぜひご連絡いただきたい。
プロダクトマーケティング、プロジェクトマネジメント、システム管理者としての20年の経験値で、最適解をお届けする。

  • 新製品を投入にあたって、効率的な顧客開拓を実施したい
  • ソーシャルを活用して、既存の製品ラインのテコ入れをしたい
  • 開発プロジェクトを、コスト、品質、納期のバランスをとって実施したい
  • オープンソースを使って圧倒的に費用対効果の高いITを作りたい

ご連絡はhirose@hip.vgまでいただければ、私が直接お返事できます。